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御影山手便利地図


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御影山手へのアクセス

●阪急電鉄の御影駅から、徒歩で10分~20分です。

●JR六甲道駅または阪急六甲駅から神戸市バス32系統が出ています。時刻表はこちらをご覧ください。

 

御影山手の歴史

御影山手2丁目で古墳時代の古墳が見つかったのご存知ですか?

 平成17年9月3日付の神戸市教育委員会文化財課の資料(https://www.city.kobe.lg.jp/documents/6963/mikageyamate2005_09.pdf)によると、
御影山手2丁目(地図を参照ください)には御影山手遺跡が見つかっています。
御影山手遺跡は東灘区と灘区との境を流れる石屋川の東側にある遺跡で、石屋川の支流の新田川(しんでんがわ)と宮谷川の2つの小さい川に挟まれた傾斜地に位置しています。
平成3年2月に行われた調査で、江戸時代の長方形の土坑が2基、平安時代終わり頃の掘立柱建物が1棟、鎌倉時代の谷地形が見つかっていました。
平成17年5月から行われた調査で、古墳時代後期の古墳が3基見つかりました。
しかも1号墳は埴輪を持つ古墳でした。
掘立柱建物は6棟見つかり、そのうち奈良時代の建物が4棟ありました。
これらの他に弥生時代の遺構もいくつか見つかっています。
また、埴輪や奈良時代の土器に混じって弥生土器も出土しています。
詳細は、神戸市教育委員会文化財課が作成した詳細なレポート(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/11098 で「ファイル」をダウンロード)をご覧ください。
興味深いレポートで、御影山手の長い歴史を感じていただけると思います。

御影山手の住宅地開発は昭和35年(1960年)頃に始まりました

 御影山手の現在の2丁目は戦前、開発され住宅が建っていましたが、その北は六甲山の山麓の小高い山里でした。
この山を崩して、その土砂を海岸まで運び海を埋め立てる大きな工事が昭和35年頃に始まりました。
トラックが石屋川の両川岸に造られたトラック専用道路を使い、上り下りするトラックによるピストン運搬で土砂を運び、昭和40年頃までかかり山を切り開き宅地開発を行い、今の御影山手3丁目から6丁目の住宅地が造成されました。
当時の写真をご覧ください。

●昭和30年(1955年)頃の御影山手 造成工事前(イワイ株式会社提供)
昭和30年(1955年)頃の御影山手

●昭和37年(1962年)〜39年(1964年)頃 造成工事中の御影山手(イワイ株式会社提供)
昭和37年(1962年)〜39年(1964年)頃 造成工事中の御影山手

 

「御影山手」 地名の誕生

 昭和51年(1976年)、神戸市の新しい住居表示制度が施行され、それまで御影町西平野地区の一部であった阪急神戸線以北の地区が全て御影山手2丁目〜6丁目に住居表示が変更され、「御影山手」が誕生しました。
なお、御影山手1丁目は新田川以東から阪急御影駅の御影北小学校や頌栄短期大学を含むエリアです。

そして現在の御影山手へ

 造成が終わると、大阪、神戸の中心部に近く比較的交通の便も良いこと、教育環境も良いことから、多くの方がこの地に住宅を求め、2000世帯(2020年)を超える人(約5000人)が住んでいます。
現在、ゴルフ練習場だった場所に116戸の宅地の造成が終わり、新しい家が建築されています。
また県営住宅跡地には74戸のマンションの建設が終わり、全室に入居されました。

●2019年3月にドローンで撮影した旧ゴルフ練習所
昭和37年(1962年)〜39年(1964年)頃 造成工事中の御影山手

 

御影山手の公共施設と歴史的建物

御影山手自治会館

 1979年(昭和54年)御影山手3丁目3−1のマンションの1階部分を購入して御影山手自治会館が設立されました。専有面積は139㎡で、大会議室と2つの小会議室があります。

御影山手の公園

御影山手には大小6つの公園があります。

①御影山手公園:街を南北に走る大通りを北に登って自治会館を右手に見てもう少し進んだ右手にある、御影山手で最も大きな公園です。建設中のマンションに付属してできる公園もこの御影山手公園に接続して作られますので、さらに大きな公園になる予定です。神戸の街が一望できる眺めの良い公園で、ボール遊びもできる公園です。ラジオ体操、秋祭り、餅つき大会などのイベントもここで行われています。

②天神山公園:2丁目にある2番目に大きな公園です。なんと言っても別名「桜公園』と言われている、桜が美しい公園です。ラジオ体操はここでも行われています。

③第一御影山手小公園:御影山手公園の大通りを挟んで反対側(西側)のバス停前にある公園です。
ブランコ、滑り台、砂場、鉄棒があり小さな子供が楽しく遊べる公園です。

④第二御影山手小公園:第一小公園から南西に50m程度入ったところにある、住宅街の真ん中にある公園です。ブランコ、滑り台、砂場があります。

⑤第三御影山手小公園:御影山手公園の北東約50mに位置する公園です。山に近く、イノシシが良く出没します。ブランコ、滑り台、砂場があります。

⑥第四御影山手小公園:2丁目にある公園で、阪急神戸線の十善寺踏切を北に坂道を上り切った左手にある公園です。花が多く植えられ、季節の移り変わりとともに色んな花が咲く素敵な公園です。
ブランコ、滑り台、砂場があります。

⑦御影山手中公園:大和ハウス工業が造成地に新しい公園ができました。

※既存公園の見直しをしています。特に小さい公園に育ちすぎた大きな木がある公園が多く、
高木の伐採や剪定、木の種類の変更などを神戸市にお願いして、順次整備をしています。
今年度で既存公園の植栽の整備は完了する予定です。
加えて、遊具も別のものに変えてもらうことも依頼しています。


御影山手公園


天神山公園


第一御影山手小公園


第二御影山手小公園


第三御影山手小公園


第四御影山手小公園


御影山手中公園

 

無言薬師堂

御影山手は古墳跡が見つかるなど、非常に長い歴史のある地ですが、現在残っている歴史的な唯一の建物は、この無言薬師堂だけです。御影山手2丁目の住宅街の中にひっそり佇む小さいお堂で、知らなければ通り過ぎてしまいます。
お堂にある無言薬師堂と書かれた説明文の一部を以下に紹介します。
御影町西平野字寅新田(以前の住所表示、今は御影山手2丁目)の松樹に囲まれた丘の上にある「無言薬師堂」は、古くから郷人に善崇されていた由緒の深い御堂であります。御影町史(p495。昭和11年9月15日発行)に依ると、この薬師堂は今から1400年も前、聖武天皇(第四五代天皇・在位724~749)の時代に正応律師という当時の名僧によって開基された松本山正応寺の跡で、この付近を松本と呼ぶのもそれに由来します。
この「無言薬師堂」は大変歴史の古いもので、その開基の縁起が非常に興味深いものであります。
(以下、再び御影町史をここに引用)
松本山正応寺を開基した正応律師は、聖武天皇の勅願により南都に7大寺が建立された後、300余人の選ばれた僧侶の一人として、諸国を廻り仏像を作り、あるいは伽藍を建立し、仏法を押し広めました。その当時、正應律師は博識明智であったが、生来多病でこのことを憂いて無病長寿を祈るために、播州明石郡太山寺(現在の神戸市西区太山寺・国宝建築)に参り、本尊薬師仏に祈願し薬王の秘法を7日間修業し、民衆の為に薬師12神の真法を行い、「薬師像を建立し堂塔を建立すれば無病長寿疑い無し」とお告げを受けました。
その後、正應律師は喜び、津の国に来た時、御影の山野辺を見回ると、一つの小石を発見しました。郷の人々に尋ねると、この石を汚すと祟りがあると恐れていました。この石をよく観察すると薬師の尊像に似た姿があり、正應律師は喜び、薬師12神の真法を修業しこの石を薬師如来の本尊とし御堂を建て、その後、日夜繁栄して伽藍となり、松本山正應寺として長く続きました。
しかしその後、打ち続く兵火や火災と東の谷からの山津波のため完全に壊滅し「法灯は消え、梵音永く絶って」と一帯は狐狸の棲家に戻り、応仁の乱(1467年)の頃このあたりに毎晩光る物があり「郷人、大いに驚き、肝を冷やした」ので、戦国の武士が馬で馳せつけたところ馬はいななくばかりで恐れて進まず、不審に思って地を掘ると薬師仏の尊像に似た石碑が発見され、現在の地に薬師堂が再興されました。しかし、その後、往時の隆盛を見るに至らなかったとされます。

「無言薬師堂」の敷地内にある石塔、墓石、石灯籠などの年代は15世紀末期から18世紀にかけての記載があり、応仁の乱の頃にお堂があったことは間違いないと思います。お近くに来られた時は是非、お立ち寄り下さい。

 

御影山手の公共施設と歴史的建物

御影山手周辺の学校、幼稚園、保育園

御影北小学校

 御影山手は御影北小学校の校区です。一番遠い6丁目の西北から徒歩で15分程度の距離です。令和2年に新しい校舎が完成し、素晴らしい教育環境が整備されました。今後、増えると予想される児童にも対応できる教室を備えています。
御影北小学校 ホームページ

頌栄短期大学、頌栄幼稚園

 頌栄短期大学・頌栄幼稚園は2021(令和3年)現在、創立132年を迎えます。

 頌栄短期大学は、1889(明治22)年10月、キリスト教宣教師であるアニー・L・ハウが、幼児教育の祖・F.フレーベルの教育理念を幼児の保育に生かそうと考え、本学の前身となる頌栄保姆伝習所を創設したことによります。現存するキリスト教主義の保育者養成校としては日本で最古の歴史を誇ります。子ども・学生一人ひとりを、人格を備えた尊厳のある存在として認め、創発性に委ね、見守る姿勢を大切にした教育を行っています。
六甲山のふもとで、大阪湾が一望できる自然環境に恵まれたこの地は、保育者養成にふさわしい場所として選定されました。現在では、頌栄幼稚園のほかに関連施設として北区に2つの認定こども園、小規模保育施設、3つの学童保育施設を運営しており、グループで創立者の志を受け継いだ教育・保育を行っています。
頌栄短期大学 ホームページ

 頌栄幼稚園は、頌栄保姆伝習所創設から1ヶ月後の1889(明治22年)11月に設立された、神戸で最も長い歴史のある幼稚園の一つです。創立者ハウは、日本における幼稚園教育の先駆者の一人であり、本園は、日本にまだ幼稚園がほとんど存在していなかった明治期から本格的な幼児教育を行い、そのことはGLORY KINDERGARTENの名で広く海外にまで知られておりました。創立以来、一貫してキリスト教保育とF.フレーベルの教育思想に基づいた保育を行い、132年間幼な子と共に歩んできました。
遊びのなかで、子どもたちが関わりあい、お互いを認め合い、話し合い、解決に導く体験を通して、主体的に生きる姿勢、自然への探究心、国際人として幅広い視野を育てています。「幼児期から心の教育の大切さ」が叫ばれる今日、多くの幼児たちのこころとからだの成長を家庭とともに育んでいきたいと願っています。
頌栄幼稚園 ホームページ

 毎年11月には、近隣のご協力のもと、短期大学、幼稚園、同窓会が一体となって頌栄祭を開催しています。この日のキャンパスは、2,000人を超える参加者の笑顔であふれています。短期大学の学生自治会は、幼児から小学生までが楽しめるゲームを用意し、幼稚園母の会のバザーは、開門前から行列ができる人気です。同窓会の手作りの作品は完成度も高く、現場の保育者の方が買い求めています。

親和中学校、親和女子高等学校

 明治 20(1887)年に親和女学校として開校した本校は、神戸市でもっとも古い女子校です。
校祖の友國晴子先生は、女子に対する教育軽視の時代にあって、学びへの熱い思いを生涯もち続け、生徒とともに校舎内で起居し、同心同行の実践教育を行いました。 以来、本校では校祖の教育観を基本理念とした教育を一貫して行っています。それは「婦人の徳を養成するを目的とす」という精神に示されるように、人間形成を第一におく教 育です。
心豊かで、知を備え、美しく生きる女性の育成をめざし、長き伝統の上に新たな時代を 築いています。
親和中学校、親和女子高等学校 ホームページ

若草幼稚園

 若草幼稚園は地域の方々の要望により設立され、早70年以上が経ちました。所在地は灘区にありますが、御影山手地区に隣接していますので、東灘区・灘区の双方から通園しています。
広い園庭や大型遊具で伸び伸びと遊ぶだけでなく、体操・リトミック・科学あそび・英語あそびなども積極的に取り入れ、思いやりの心を大切に、心身ともにバランスのとれた成長を目指しています。
預かり保育も充実していますので、安心してご利用いただけます。
これからも地域の皆様と共に、子どもたちの未来を担っていければと考えています。
若草幼稚園 ホームページ

御影北児童館

 児童館は子どもたちが誰でも利用できる施設です。子どもたちに安全で健康な遊びを指導し、季節折々の楽しい行事やイベント(なつまつりなど)を企画しています。また、地域に根ざし、地域に開かれた施設として、地域と連携しながら子どもたちの健全育成活動を進めています。

すこやかクラブ(登録制)
親子遊びやふれあい講座などを通して母親同士の交流を深めながら、幼児の健康増進や仲間づくりをすすめています。

学童保育(登録制)
児童館では、子育てと仕事の両立支援、放課後における児童の健全育成のために放課後児童健全育成事業(学童保育)を実施しています。
御影北児童館 ホームページ

御影のどか保育園

 一人ひとりがかけがえのない存在として慈しまれる。深い信頼関係と伸びやかな環境の中で情緒の安定がはかられ、自分も他者も大切にできる心が育つような保育をめざしています。

保育目標
頭もからだも使って遊べる子:自分で考え、判断できる子 生き生きと遊べる子
心もからだも健やかな子:感性豊かで、明るく、健康な子 優しさ、思いやりの心、しなやかな体
いのちを大切にする子:自分のからだを守り、人を傷つけない 自立(自律)心
御影のどか保育園 ホームページ